親鸞会の教義は親鸞聖人の教えに従っており、特に「平生業成」という言葉に重きを傾けながら阿弥陀仏を最尊の仏として日々礼賛しています。

しかしこう表現しても、いまいち伝わりにくいかもしれないですよね。
そこで今回は親鸞会の教義と阿弥陀仏の本願について触れていきます。「平生業成」という言葉は何か、本願とは何かなど親鸞会の教えの一部をこれをきっかけに知っていただければ幸いです。

そもそも親鸞って誰ですか

親鸞会の教義を説明する前にまず、親鸞会の核である親鸞聖人についておさらいしていきましょう。
親鸞聖人とは平安時代と鎌倉時代を生きた僧侶で、浄土真宗の真祖です。幼い頃に両親と死別した親鸞は叔父に連れられて9歳で比叡山延暦寺に入門するものの、自分の力に限界を感じて比叡山を後にし、今度は法然上人のもとで修業します。

法然は浄土宗の開祖で、「南無阿弥陀仏」と唱えれば死後は誰でも平等に往生できる専修念仏の教えを説いた僧侶です。
このあたりに関しては一旦横に置き、親鸞聖人の人生を追いかけていきましょう。

法然のもとで専修念仏を学んだ彼は精力的に自分が学んだ教えを伝えていましたが、それが朝廷の怒りを買ってしまい、新潟県へ島流しされてしまうのでした。一説には法然の薦めで妻をめとった事があるものの、現在は教えを広めた説が主流になっています。

その後親鸞は死者ではなく、生者に仏の教えを伝えていくという「非僧非俗」し、自分らしく説法をしていくのでした。そして享年の90歳を迎えるまで、次々と著作に励み、そして後世に浄土真宗が残されたわけです。

法然上人と親鸞聖人の教えの違いって何

親鸞会の教義を把握するうえで大事なポイントはあくまでも法然ではなく、親鸞が伝えた教えを正しく知る事に尽きます。親鸞聖人の教えを正しく伝える事、それこそが昭和33年に会を結成した高森顕徹先生たちの願いだからです。

その願いをないがしろにしないためにも、今一度法然上人と親鸞聖人の教えの違いを明確にしておきましょう。法然上人の教えを簡単にまとめてしまうと「念仏を唱えていれば極楽浄土へ行ける」というものですが、反対に親鸞聖人の教えは「その人が念仏を唱えようとした時点で救われており、あとは阿弥陀仏にお任せする」というものです。

これを「絶対他力」と言い、その確固たる信念から専修念仏を廃止しようとしました。この活動によって朝廷の怒りを買ったわけですが、2人の仲には亀裂は生じておらず、むしろ親鸞聖人は最期まで法然上人を尊敬していたようです。

現に歎異抄では「法然に騙されて念仏を唱えて、地獄に堕ちても私は後悔しない」と残しているわけですから、どれだけ師匠を敬っているのか分かりますよね。

親鸞会の教義は「平生業成」そのもの

親鸞聖人のおさらいを踏まえたうえで、いよいよ親鸞会の教義についてです。
しかし親鸞会の教義は親鸞聖人の教えを学ぶ以外、何も特別なものはありません。「それなら浄土真宗のお寺と変わらないのではないか」と思われがちですが、1つだけ他の仏閣とは異なるこだわりがあります。それこそが「平生業成」、この言葉を始めとした親鸞聖人の言葉を丁寧に理解していく事が親鸞会の在り方です。

「平生業成」とは基本、浄土真宗そのものを表す言葉として用いられています。
「平成」とは生きている今、「業」とは人生の目的、そして「成」は完成もしくは達成をそれぞれ表現しており、これを直訳すると「人生の目的を達成するまで生きなさい」という教えに繋がるわけです。

けれど残念ながら現在ではこの言葉は「日頃の行い」という意味合いに変質し、本来の言葉からズレています。そのズレを直し、多くの人に親鸞聖人が訴える生の在り方を知ってもらうために親鸞会の教義があるわけです。

阿弥陀仏の本願って何

親鸞聖人の教えに登場する絶対他力、これは信心も念仏も持ちえたのは全て阿弥陀仏の計らいであるという考えです。つまり本来の自分は何もできず、もし自分を救う存在がいるとしたらそれは阿弥陀仏でしかないとされています。
どうしてここまでこの仏様にこだわるのでしょうか。

それは親鸞聖人が残した歎異抄で語られています。阿弥陀仏、もとい阿弥陀如来はお釈迦様以外にもいる数えきれない仏様たちの本師本仏で、十方衆生に「至心信楽の願」を誓ったそうです。この十方衆生へ誓ったという「至心信楽の願」が本願というわけですが、これはすなわち「生きとし生ける全ての人を幸福にします」と宣言しています。
仏教では幸福は2種類あり、1つは相対の幸福で、もう1つは絶対の幸福です。

前者は他者と比較する事で得られる幸せですが、後者は命と知性を持った者としての幸せとなります。親鸞聖人は仏教を知り、「阿弥陀如来がここまで誓っているのだから必ず幸せは訪れる」と解釈した事が浄土真宗の始まりです。

まとめ

親鸞会の教義は浄土真宗の真祖である親鸞聖人の考えを正しく伝える事をモットーに、「平生業成」を始めとした言葉を丁寧に理解していく事です。
「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで救われると説いた法然上人とは異なり、親鸞聖人は「全てを救う」と人間に約束してくれた阿弥陀仏を信じて身を委ねる事にしました。
こうした詳細な内容は調べなくては分からないものの、教える事でもっと分かりやすく伝えられれば親鸞会としてはこれ以上ない喜びです。

親鸞会を調べてて出てきたHP
親鸞会と本願寺10の相違点 親鸞会批判の真実
http://kazoku.sub.jp/